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 穂高岳 



【概要】


T所在地 長野県・岐阜県  
U訪問日時  平成23年【2011年】10月08日 (土曜日)
V天候 晴れ後一時曇り
W最高峰標高奥穂高岳 [ 3,190m ]
 X登下山コースと所要時間★《初日;10/07》上高地 [ 1,505m ](12:43)→11.0q[ 115m ]→(15:35)横尾キャンプ場[ 1,620m ]
★《二日目10/08》横尾キャンプ場[ 1,620m ](06:07)→2.8q[ 160m ] → (07:12)本谷橋 [ ≒1,780m ](07:14)→2.4q [ 529m ]→(09:04)涸沢三叉路[ 2,309m ](09:05)→≒0.4q→(09:25)涸沢小屋(10:00)≒1.4q [ 674m ] → (12:33)穂高岳山荘[ 2,983m ](13:10)→≒0.6q [ 207m ] → (14:07)奥穂高岳[ 3,190m ](14:10)→≒0.6q → (15:30)穂高岳山荘
★《三日目10/09》穂高岳山荘(06:13)→ ≒2.2q→(08:15)涸沢三叉路(08:16)→≒16.2q → (15:35)上高地
 * 上記ルート図 
 * 表示距離についての注記
 Yその他 《1》横尾キャンプ場と山頂との標高差〜≒1,570m
 《2》日程〜 二泊三日 
 《3》同行者〜 単独


【詳細】


 ザイテングラートをよじ登って穂高岳山荘に着いたのは午後零時半ごろだった。屏風岩の真ん前あたりまであった、昨日からの右膝内側の痛みも次第に消え、順調に山荘まで来られたためつい調子に乗って、この後山頂を訪ねた後に、涸沢小屋まで下山し、そこで泊まれたら、翌日の行動がうんと楽になるナ、といったんは目論んだのだが、待てよ、年寄りに無理は禁物ダと自重自戒し、今晩は山荘にお世話になることとした。
 山頂を訪ねるのは今日にしようか、それとも明朝にしようかと迷った。というのも、前の晩雪が降り、日陰はまだ凍結している危険性があったからだった。ただ、風もなく、朝から良く晴れていた。そして、明朝には天気が急変するかもしれないし、かりに快晴だとしても、今は溶けているところが、明朝の冷え込みで凍ってしまったら、転倒滑落のリスクは増えてしまうのではないかと判断し、これから訪ねることにした。そこで簡単な二度目の昼食を小屋の食堂で済ませ、アタックザックに水、防寒衣などを詰めて小屋脇にある登山口に立った。まだ溶け切らない登山道の雪に緊張を強いられながらなんとか山頂に辿り着くことができた。だが山頂に着くと同時くらいに前穂の方角から流されてきたガスが辺り一面に立ち込め視界不良となってしまった。ためにそこからの大展望を堪能することはできなかった。ただ途中では、笠ケ岳の独立峰であるかのような悠然たる姿を見ることができたし、そしてまた上ってきた来し方を思わず振り返ったときには、涸沢岳の向こうに天に向かって穂先を向けたような、黒っぽい鋭峰が目に飛びこんできた。その唯一無比のその山容に痺れにゾクッとしてしまったりもした。こんなに近くでその英姿を始めて目にした興奮によるものだった。頂近くになったときは右手に、ありゃなんだと強い印象を与える、厳つい岩塔があった。ジャンダルムだ。こういったことがあったから山頂でのガスや風も少しも恨めしくなかった。山頂の祠と展示盤を見たときには今日の長い道のり(と、小生には感じられたのだが。)を膝の故障の再発もなく、歩き終えた悦びで、思わず小声で『ヤッタぞ、オクホだ。』と手ににぎりこぶしを作って小声で一人叫んでしまった。
 ここの紅葉は毎年メディアで映像が紹介されていたので期待して今回この時期を選んだ。さすがにナナカマドの実は鮮やかであったが、葉は黒っぽく枯れてしまっていたのが多く見事に赤く染まっていたのは少なかった。他のドウダンツツジ似の潅木などの葉も同じような状態だった。天候不順のせいなのだろう。概して、紅葉は物足りないものだった。
 しかし、紅葉が綺麗でなく、また山頂での展望にも事欠いたにもかかわらず小生にはそんなことはどうでもイイことであった。
巨大カール。その上部では岩石が白く、あるいは日陰では銀色に鈍く光り、底に近いところには万年雪の広大な雪田が広がっていた。
そのカールを抱き込むようにして屹立する北穂高、涸沢岳、奥穂、前穂などの岩壁と鋭鋒の山並みが連なっていた。峰々の所々に昨晩の新雪が横線状に何本も走っている。ハイマツはわずかしかない。森林限界を超えた岩石が圧倒的に支配する世界。
その頭上にはどこまでも透き通った紺碧の空が深く覆っていた。
その天空の中心に万物の命と輝きの源が燦然と光り輝いている。
この眼前にひろがる風景のなんと雄大で豪快なことか、そしてなんと神々しくさえある崇高な気高さをたたえていることか、茫然自失するほどの、圧倒的な存在感に釘付けになってしまった。
こんな山岳風景を目の当たりにして、小生にはそれ以外のものを望む気持ちなどは微塵もなかった。今日ここに身をおけることの、無上の幸せに目頭が熱くなった。
 それにしても登山道からの風景の全てがなんと素敵でドラマチックなのだろうか。バスターミナルから横尾山荘までの豊かな樹林帯のなかの遊歩道。梓川の白い石に埋め尽くされた広大な河原、対岸には歩く従い、その姿が時々刻々と変わる、明神岳と前穂の雄姿。徳沢園の先に出没する野猿の群れ、すべてが素晴しく心を波立たせる。これだけの舞台装置でも十分満足できるのに、横尾大橋を渡って、涸沢の谷川の心地よいせせらぎの音を聞きながら、屏風岩、横尾本谷、南岳などを観賞するルートも感動的だった。そして長い歩みの最後でキャンプ村に立つと千両役者が一同にドカーンと勢揃いの揃い踏みで迎えてくれる。あまりの劇的な演出に息を呑んでしまう。
前回は立山の雷鳥沢キャンプ場からの立山三山や別山の眺望に目を奪われたが、今日の穂高三山と涸沢岳には、心までも奪われてしまうような感じだった。
 横尾キャンプ場に辿り着いた時には、立山のときと同じように右膝内側と左腰が相当痛く、翌日の涸沢のテント泊をあきらめる羽目になった。そして徳沢園から横尾キャンプ場までの間では腰につけたポーチからデジカメを落としてしまったのに気が付かず失くしてしまい、帰途、明神のあたりから両足裏のつぶれた豆の痛さとやはり右膝内側の骨の痛みを感じながら、やっとの想いでバスターミナルへと着いた。そして2時間待ちしないとバスに乗れないというアクシデントのおまけまであったりもした。こうした散々の目にもあった。
 だが、しかし、その不快さの何倍も何十倍も、大自然のデッカイ贈り物に、酔いしれた三日間であった。
 こんな興奮にはこれからの山歩きではもう出会えないかもしれない、などと何度も思いながら帰途についた。  

【写真記録】


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【上高地訪問記録】


☆☆  別紙  ☆☆


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