p_l.gifp0n_2.gifp0o_2.gifp02_2.gifp01_2.gifp_r.gif




安達太良山



【概要】


T所在地 福島県  
U訪問日時  平成21年【2009年】10月24日(土曜日)
V天候 曇り
W標高  安達太良山 [ 1,699.6m ]
 X登下山コースと所要時間 奥岳登山口(06:22)→≒2.5q(注)→(07:33)薬師岳(07:35)→2.4q → (08:49)安達太良山(08:55)→1 .3q →(09:35)峰の辻(09:36)→0.9q→(10:09)くろがね小屋(10:12)→3.4q→(11:45)奥岳登山口

(注)あだたら高原スキー場のゲレンデ内コースです。私有地のため一般的なルートとしては案内書には載っていないようである。ただ歩いてみると登山路と書いた簡単な標識が点々と立てられていたスキー場会社の好意によるものなのでしょう。まずはその寛大な厚情に感謝したい。せめて指定場所以外は立ち入らないないようにしたいものだ。
 このコースの入り口からゴンドラ頂上駅までの水平距離は約1qで高度差は約460メートルと急勾配のため上部はジグザグに歩行路が設定されていた。ために推定でこれくらいの距離とした。
 * 上記ルート図
 * 表示距離についての注記
 Yその他 《1》登山口と山頂との標高差〜≒749.6m
 《2》日程〜 日帰り
 《3》同行者〜 単独


【詳細】


 薬師岳に「この上にほんとうの空がある 二本松市」という木柱があった。
 今日はあいにくの曇り空だ。でも、こちらに一週間近く滞在して感嘆したもののひとつは空だ。空気に塵芥がほとんどないせいなのだろう。晴れた日の空の深い青さにたびたび魅せられた。色が濃い気がする。だから晴れている夜はちっちゃなかすかな弱い光の星までも良く見える。水平線に近いところまでまたたいている星が見える。空に大小の無数のダイヤモンドを撒き散らしたように。いつまでもこうあつてほしいと願いたい。
 薬師岳から安達太良山の山頂の手前まで道の両側に小生の好きな無数のシャクナゲの木が生えていた。時期になるとさぞかし壮観だろうナ、と印象に残った。
 牛の背からの沼の平の風景はどうだろう。宇宙のどこかのまだ誕生したばかりの星にたっているのではないか、と錯覚した。小生はこういう場所がたまらなく好きだ。陽の光を受けて明るく多彩に輝く岩石の火口は天然の芸術品だと思う。

resize_dsc00724.jpg


また山頂から牛の背までの砂礫の尾根に点々と大きなケルンが積み立てられていた。濃霧による道迷い事故防止のために関係者の方々が骨をおってくださったものによるのだろう。ありがたい、と感謝しながら歩いた。ひとつ興味をひいたのは安達太良山山頂の標識が山頂にでなく、山頂のある小高い岩峰の下にあったことだ。ゴンドラのお陰で山歩きに慣れていない軽装の人達でもここまで楽に来られる。もしこの標識がこの岩峰の頂上にたっていれば、そういう人達もそこまで行きたくなるのが人情だろう。でもそこにある鎖場の上り下りで重大な事故がおきたらその死傷したご本人や親族が「なぜ標識を山頂に置いたのか。そこに置いた市に責任がある。」 と二本松市に八つ当たり(小生にはそう思える。)するモンスターが闊歩する世の中だという認識の下での市の配慮の結果だと推察する。言うまでもないことだが山に入っての事故は誰のせいでもなく基本的にはすべて自分のせいなのだ、と思う。こういう当たり前のことが当たり前でなくなりつつある世相の一端がかいま見えないだろうか。小生の邪推だとすればイイのだが。
 中腹より上は紅葉の盛りをすぎていた。初冬の気配が漂っている。春夏に較べれば殺風景かもしれない。でもこの時期の山歩きも悪くない。
 くろがね小屋から登山口へ向かっている途中で向こう見ずな若者に出会った。7、8人の若者のグループに出会ったのだがそのなかの一人はタンクトップのシャツでリュックを背負っていた。腕は丸太のように太く逞しかった。よく見ると鳥肌がたっている。なんともその無鉄砲さがほほえましい。植物系若者が多いいという。そんなことを見聞きしていただけにこれくらい男的な若者が小生のような旧世代には大変好ましく映る。

帰途近くの塩沢温泉湯川荘に入湯のため立ち寄った。露天風呂につかりながら塀の外のモミジ、ミズナラなどの紅葉見物は乙なものだった。ゆんべの岳温泉の銭湯の湯温は小生には熱すぎたが、今日のはぬるくて小生好みだ。長時間浸かって今日の疲れを十分癒すことができた。

 今回の4日間の山歩きは久しぶりの山歩きだったせいか膝も最初ちょっと違和感を覚えたが3日目くらいからその違和感も消えほぼ完治したようだ。これで膝に関してはアルプスも大丈夫そうだ。そしてもうひとつの日常生活での体調異変も山歩きの最中に発症することはないだろうとの憶測がほぼ間違いないことと見当がついたのは嬉しいことであった。  

【写真記録】


☆☆  晩秋の安達太良山  ☆☆


sr05.gifsr35.gifsr45.gifsr55.gif


― 39  ―