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赤岳



【概要】


T所在地 長野県  
U訪問日時  平成25年【2013年】 10月 28日 ( 月曜日 ) 
V天候 快晴、無風 
W標高 T 最高峰 赤岳   [ 2,899.2m ]
 U今回訪問山岳 赤岳 [ 2,899.2m ]
 X登下山コースと所要時間 赤岳山荘駐車場 [≒1,700m ](05:00)→≒3.9q→(07:47)赤岳鉱泉(07:55)→≒1.1q → (08:42)行者小屋[≒2,350m ](09:10)→≒0 .8q →(10:31)地蔵の頭(10:33)→≒0.7q[休憩;13分]→(11:42)赤岳(12:47)→≒1.2q→ (14:08)行者小屋(14:22)→≒4.0q[休憩;7分]→(16:20)赤岳山荘駐車場
* 上記ルート図
* 表示距離についての注記
 Yその他 《1》赤岳山荘駐車場と赤岳との標高差〜≒1,199.2m
 《2》日程〜 日帰り[前夜泊;八ヶ岳山荘仮眠室 ]
 《3》同行者〜 単独


【詳細】


 ロープウェイやバスに乗らずに登山口から山頂まで歩いて訪ねる、ことにこだわってきた。だから、地蔵岳と八ヶ岳と乗鞍岳は、地蔵は登山口から、八は最高峰の赤岳を、そして乗鞍も下から歩いて、また訪ねなければいけない、と思っていた。そんなわけで今回赤岳を訪ねた。
 現地で前夜泊すれば日帰りできそうだったため八ヶ岳山荘の仮眠室に泊まった。4、50畳くらいの広さの部屋だったのだが、シーズンオフでなおかつ月曜だったために他に宿泊客はいなかった。布団と毛布を沢山使えたために非常に暖かく、そして誰も出入りしないために安眠を妨害されることなくぐっすり眠れた。夜中に外にあるトイレに出たとき、翌日の好天を暗示するかのように、雲ひとつなく星が鮮やかに瞬いていた。

 4時に起き、美濃戸まで車で移動した。夜空の満天の星が明るいほどまだ夜は深かった。ただ手がかじかむほど冷え込んでいた。ツララが下がり、落ち葉に霜がおり、霜柱がいっぱいだった。沢の水溜りの外側は氷が張っていた。北沢の方ではダケカンバやカエデなどはすべて落葉し、ナナカマドだけが真紅の実を誇示していた。タキギとしては役に立たず、実を鳥のエサにさせない、という利己主義の塊のような存在にも思えるが、冬枯れの殺風景な景色の中ではやはりキレイだ。南沢の方ではカラマツは見事に黄葉していたが、モミジはほとんど落葉していた。秋も終わり、冬は来ていた。これで曇ってでもいようものなら寂しい山旅になつてしまうのだろう。が今日は違った。空に雲ひとつなく、太陽は燦燦と輝いていた。
 全てのものが陽を浴びて喜んでいた。偉大なるかな太陽。太陽は冬景色さえも魅せてくれる。
 地蔵の頭から山頂の方へちょっと登ってみたら富士山が雲海の上に鎮座しているのが目に飛び込んできた。思わず歓声をあげてしまうほどにその姿は素晴しいものであった。赤岳鉱泉付近から、硫黄岳、大同心、小同心、横岳などの荒々しい岩峰群を眼前に仰ぎ見、行者小屋からはさらに赤岳と阿弥陀岳の威風堂々とした雄姿に圧倒された。地蔵の頭を経て山頂に到る間でもすでに壮大な眺望に心奪われたのであったが、山頂で目にした360度の大パノラマは、それはそれは素晴しいものだった。八ヶ岳連峰の峰々、蓼科山、美ヶ原、霧ケ峰、諏訪湖、諏訪の街が、甲斐駒ケ岳、千丈ケ岳、北岳、鳳凰山などの南アルプス山塊が、その右奥の雲海上には木曽駒ケ岳と空木岳の中央アルプス連山が、その右には御嶽山が、そしてさらに右には、乗鞍岳、奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳、槍ヶ岳、その手前の蝶ケ岳と常念岳が そしてすでに白銀に染まった立山と後立山連峰の峰々、やはり白銀をいただいた妙高山と火打山などの信越の山々、そして蓼科山の向こうには浅間山、四阿山、草津白根山、谷川連峰などが、さらに近くには金峰山、ミズガキ山、古武信岳などの連山が幾重にも連なり、そして群れから離れて、諸山を睥睨するように、孤高な霊山が悠然と大雲海上に聳え立っていた。眼下に雲海や遠方に小さな雲が浮かんではいたが、空のほとんどの部分は雲とひとつもなく、陽に照らされて空はどこまでも澄んで碧かった。

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予定では行きは南沢ルートだった。美濃戸山荘を過ぎてすぐに南沢ルートへの入口の標識があった。何歩か進むと堰を登る5,6段の階段があったので、そこを上って降りようとしたら、ライトに照らし出された下は水たまりだった。堰の土手のすぐ左手は山の斜面に続いていたのでそちらが登山道と一人合点して、その斜面を登ろうとしたが、踏み跡が見えない。落ち葉で隠れてしまったのだろう、と又も一人合点して、戻って北沢コースで行くことにした。
 林道歩きだったので、道に迷う心配はない、と安心した。しばらく行くと、「落石のため迂回して下さい。」という案内看板とともに、林道は通行止めとなっていた。矢印に従って山の中に入って、踏み跡を頼りに行くと途中で石がゴロゴロした涸れ沢みたいなところに出た。目印らしきものが目に入らなかったので右折してちょっと歩いてみた。迷ったらどうしようと不安になり、明るくなるまで林道で待つことにして元来た道を戻った。10分か15分たったのだろうか少し白み始めたのでまた山の中に入った。引き返した場所に戻り、あの道とも沢とも得たいの知れない帯状の部分の反対側を見たが、入口らしきものがなかったので、矢張り右折して行くことにした。しばらく歩くと木の枝にぶら下げられた赤の布切れが目に入った。そこで又林道に出た。
 帰宅してからこの記録の「上記ルート図」を作るために改めて国土地理院の地図を眺めて、あの水溜りを横切って沢沿いに直進すれば良かったのだと(もっとも帰途南沢コースを通ったときにも気がついたのだが。)、そしてまたあの迂回路は右斜め方向に進むと再度林道に出るのだと、気がついた。つまり地図にも載っているのだから小生持参のGPS「オレゴン450」かガイドブックのその山の地図付き解説ページのその地図をその場で見れば右往左往せずに済んだのだ。そしてもうひとつわざわざ遠回りしてしまったと気がついたのは、北沢コースをさらに赤岳鉱泉へ向かってゆくと、分岐があって山の中に入ってゆくショートカットの道があったのだと、気がついた。
 いつもGPSと概略コース図はリュックに入れているのに、これまでほとんど使わなかった癖がもろに出てしまった。それにしても、持っていることさえ頭に浮かばなかったというのはどういうことなんだろう? 相当もうろくしたということなんだろうか。

 道に迷って遠回りした、ということは命には別状のないことだ。しかし今回は山頂でもっともシリアスな経験をしてしまった。
 山頂は大きな岩の寄せ集まったようなところで狭い。写真を撮り終わって昼食用のお湯を沸かすために風のあたらない、ガスコンロの設置しやすい場所を探したら山頂標識のすぐ下に小さな棚があった。そこで湯沸しを始めた。背中は断崖絶壁の谷側に向けて、そばの人と雑談に興じ始めた。湯が沸いたので、次の動作のためすっくと立ち上がった。後をちょっと見たら、もしよろけでもしたら、そのまま谷底へ、という、狭い棚の上に小生は中腰でいたのだ。その時ぞっとした。ちょっとよろけて足を踏み外そうものなら非常に危険な場所に位置取りをしているという自覚をしっかりとは持っていなかったのだ。持っているとすれば谷側になど背中を向けるような場所を選ばなかったと思う。今でも思い出すと、いたたまれないくらいに体が締め付けられる。山ではいつも細心の注意を払っているつもりなのに、この大失態。この歳になって、このような自分の大欠陥を再認識するのは非常につらいことだ。もしこういう不注意で遭難死するとしたら、あの世へ行っても後悔し続けるだろうし自分が許せないに違いない。
 


   
【写真記録】


☆☆ 日本晴れ ☆☆  


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