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 富士山 



【概要】


T所在地 静岡県・山梨県  
U訪問日時  平成25年【2013年】07月09日 (火曜日)
V天候  晴れ後ガス 
W標高 富士山 [3,776m ]
 X登下山コースと所要時間富士宮口新五合目登山口(04:54)→≒540m→(05:14)六合目(05:14)→1,000m → (06:01)新七合目(06:10)→630m →(06:49)元祖七合目(07:07)→570m → (07:50)八合目(07:54)→570m→(08:37)九合目(08:52)→440m → (09:25)九合五勺目(09:38)→550m →(10:21)浅間大社奥宮(10:21)→500m → (10:48)剣ヶ峰(11:01)→500m →(11:12)浅間大社奥宮(11:49)→4,300m[休憩;29分]→(15:12)富士宮口新五合目登山口
 * 上記ルート図 
 * 表示距離についての注記
 Yその他 《1》登山口と山頂との標高差〜≒1,376m
 《2》日程〜 日帰り
 《3》同行者〜 単独
 《4》前夜泊〜 新五合目駐車場車中泊


【詳細】


 富士山は“日本一の山”と単純に信じている小生としては、この百名山巡りのアンカーとしては、この富士山がイイな、と思っていた。
だが、東南海地震に触発されての大噴火の予測ニュースや富士山周辺地区での地下水の枯渇化現象という異常報道を見聞きするにつけ、そしてこの百名山巡りがいつ終わるのか、の確たる予想もないなかで、この“日本一の山”を本当に訪ねられるのだろうか、という不安が募る一方の昨今であった。さらに、先月には世界文化遺産に登録されたため、人と車のさらなる大混雑と渋滞に拍車がかかるのではないか、と心配が増した。だからシーズンが始まったばかりの今がイイと判断し、ネットですぐ調べてみると、富士宮口登山道の七合目から上の通行止めが八日の午前零時に解除されるとの登山道情報があったので、初日は混むだろうと予想し、翌日の九日に訪ねることにした。
各登山コースの中で登山口の標高が最も高いのが富士宮口コースだという。非力で両膝に不発弾をかかえる小生としては、歩行距離も最短と推測し、このコースを選んだ。

 小さいころから関東のどこかの山や高地に行った時は、富士山が見えるんじゃないか、と必ず注目し、米粒ほどのチッポケな姿であつても、見えれば、富士山が見えた、と同じ場の人に吹聴する、そんな格別の存在だ。小生にとってこの山が“日本一”というのは、日本で一番高い、ということではなく、美しいと感嘆するほどのあの均整のとれた姿が山としては日本一美しく魅力的なのだということを意味する。東西南北どちらから見ても判を押したように形は同じ。そしと、その姿は雄大で重量感に満ちている。
今回の百名山巡りでどこの山から富士山の写真を撮ったのか過去の記録を振り返ってみたら下記の通りだった。

皇海山
御嶽山
霧ヶ峰
雲取山
金峰山
大菩薩峠
天城山
北岳

 午後六時半ごろ新五合目駐車場に到着した。幸い最上段の区画の端の方が開いていたので、そこに停めた。七時半ごろからヘッドランプを点けて登り始めている人が何人もいた。夜目覚めて山腹を見ると、ランプの灯りがいくつか動いているのが見えた。ご来光を山頂で迎えたい人達なのだ。無論小生には、希望はあっても、その気力も体力もないから、真似はできないのだが、ご来光のみのために訪問者に難行苦行(小生にはそう思えるのだが‥‥)を喜んでさせてしまう、この富士山という山の偉大な一面を垣間見た想いがした。
 さらにもうひとつこの山の特異さに驚いたのは、この山は“影富士”というもう一つの姿を見せることがあって、たまたま九日の朝のご来光は、その“影富士”が見られた、と下山者に途中で聞いたからだった。ご来光と反対の西側の雲海に富士山が映った、のだそうであるる。小生は、アア、あれは影富士の一部だったのだなと、すぐに納得した。というのも、登山口前の五合目レストハウス屋上の展望台で、眼下の雲海を眺めていたとき、目を西側に転じると、白い雲海上を灰色の斜線が引かれているのに気がついた。アホな小生は、色の無い虹なんて、あるんだ、と単純に思っていたのだ。

 新七合目を過ぎたあたりからだろうか、火山岩台地一色の世界だ。
 黒灰色や褐色色した岩と小石と砂だけでできた大地。時折残雪の白さが一息つかせせてくれるだけの単調な世界。すでに、草木は一本もない。だから、小鳥や蝶などの姿や鳴き声などはない。かざりっけの一切無い世界。この命の息吹がない、荒涼たる風景もこの山の本当の姿の一部なのだと納得させられる。こういう世界で、天上の青い空、そして湧き上がる白い入道雲、時折流れるもや状のガス、こういったものが妙にいとおしく感じられた。
 だからだとも思うが、登りのときはさほど感じなかった、七合目から六合目に下る途中で目にした、広大な岩礫地の斜面に点々と散りばめられたようにあった、オンダテの黄緑色が地面の黒褐色に映えて、美しく感じられた。他の山では目もくれなかった野草だったのに…………。岩陰にひっそりと身を潜めるようにして可憐な小花を咲かせている、イワツメクサフジハタザオ、そしてハイマツみたいに血を這うような姿をしたカラマツのみずみずしい葉の若緑。生きているものの素晴しさを実感させてくれた。
 そして富士山にはなぜ高山植物が生えていなかったのか、帰ってから勉強し、そこに地球の壮大なドラマが展開された結果なのだということを知った。

 九合目を過ぎてからだった。歩き終わって立ち止まると体が少しフラフラする気がした。二度三度あった。小生にとっての高山病の症状なのかもしれない、と感じた。それまでは、普段どおりの、平地での呼吸法だった。空気がうすい、だから酸欠でこうなるのだろう、だったら呼吸法を変えてみよう、と試してみることにした。一回吸って一回吐くの繰り返しから、ゆっくりと二回吸って二回吐く、を連続して繰り返す、へと。効果があった。フラフラ感は消えた。ただ最近の山歩きでは下山時に転倒することはなかったのだが、今回は二度登山道の砕石ですべって尻餅をついてしまった。注意していたにもかかわらずである。二度目はついた左手の手の平の皮をすりむいた。でもそんなことは大したことではない。ここのところ何より嬉しいのは不発弾が暴発しないでなりをひそめていてくれることだ。アリガタイ、アリガタイ。



【写真記録】


 ☆☆ 空と雲と岩  ☆☆ 


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