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飯豊山



【概要】


T所在地 福島県*新潟県*山形県  
U訪問日時  平成24年【2012年】08月2、3日(木、金曜日)
V天候 晴れ・無風 
W標高 飯豊山  [ 2,105.1m ]
 X登下山コースと所要時間
 ★ 初日〜大日杉登山小屋[ 612m ](07:03)→≒2.9q[926.9m][休憩;3回、28分]→(11:19)地蔵岳[ 1,538.9m ](11:56)→≒4.5q[211.1m] [休憩;4回、50分]→ (16:22)切合避難小屋[ 1,750m ]
 ★ 二日目〜切合避難小屋[ 1,750m ](04:54)→3 .1q[352m] →(06:57)飯豊本山小屋[2,102m](07:12)→≒0.7q→(07:25)山頂(07:29) →[休憩;1回、3分] →(09:10)切合避難小屋(09:40)→[休憩;3回、19分]→(12:42)地蔵岳(13:13)→ [休憩;4回、42分]→(15:35)大日杉登山小屋
 * 上記ルート図 
 * 表示距離についての注記
 Yその他 《1》登山口と山頂との標高差〜≒1,493.1m
 《2》日程〜 小屋泊二日
 《3》同行者〜 単独


【詳細】


 今回もまた弱気虫との闘いだった。
 両日とも絶好の好天に恵まれたのは好ましい限りであったのだが、だが猛烈に暑かった。
 時折涼しいそよ風が熱く焼かれた体を冷やしてくれるのだが、陽射しを遮るもののない尾根道では太陽が容赦なく照りつける。地蔵岳を出発してほどなくして、既に疲れていた体がささやいた。“これで小屋まで行けるのかい?まだいくつかのアップダウンがあるよ。ここからUターンすれば、死蔵岳までの上り返しがあるけど、その先は下りだけだから何とかなるよ。”誘惑にかられた。別の声が反問した。“今のところ、膝も足裏も痛くないのに下山する理由がないではないか。後でまた来るの?それとも百名山訪問を諦めるの?”と。小屋着が遅くなると思い予約をしておかなかったので飯を頼めない(到着したのが遅かったのだが結果的に食事を頼むことができた。)が2食は持っているので、明日下山時まではなんとか食いつなごう、そこで休み休み時間がかかっても小屋へ行こう、と決めた。小生の場合、チョット厳しい山歩きとは、薄弱な意志との闘い、になつてしまう。三つ子の魂百まで、どうしようもない。
 その翌日飯豊山を訪ねた帰りに、地蔵岳までまだ大分距離があるところでもうグロッキー状態になっていた。地蔵岳から先は下りだけだから楽できる、という期待にすがって、青息吐息でなんとか地蔵岳まで辿り着いた。リュック、ストックを放り出し、靴を脱いで、木陰に仰向けに体を横たえた。山頂から小屋に着いたときに、朝食として牛乳、チーズ、アンドン1個を無理して食べた。すでに食欲は落ちていた。だから、昼飯も食べたいとは思わず、飯より寝たい、という欲求に素直に従った。30分くらいウトウトしたようであった。身支度をして歩き出したら疲労感がなく、すっきりした爽快な気持ちになっていた。もっとも脚力は回復してないことにすぐ気がついた。これからの下りは転ばないことが大事、日没まで降りられれはイイのだから、と休憩を頻繁にとることにした。こんなわずかな距離をこんなに休んだのは初めてだった。
 こういう苦行みたいな山歩きは本来はしたくない。疲労感が五感を鈍くし大自然の万物を充分に鑑賞できるだけの穏やかでゆとりある気持ちになれないからだ。だが年とともに体力が衰え、その理想からはだんだんと遠ざかってゆく。
 でもこの暑さの中で「水」のどんなにありがたかったことか。登山口から地蔵岳の間には“長之助清水”が、地蔵岳から種蒔山までの間は“目洗清水”と雪田斜面を流れる雪渓の雪解け水の清流が、そして小屋には雪渓の雪解け水が豊富に引かれていた。小屋以外のものは良く冷えていて本当にうまかった。そしてタオルにその冷水を浸してしぼった後で熱く焼け、そして汗ばんだ上半身を拭いた後の爽快感は気持ちまで生き返らせてくれる。寝るときも汗のベタベタ感がまったくなく快適に寝入ることができた。猛暑の夏の山でこのような豊かな水源は心からありがたいと思った。

 こんな肉体上の苦痛に見舞われた行き返りではあったが、日の出とともに歩き始めた山頂への稜線歩きは思い出深いものとなった。
 見上げる空はどこまでも澄んで蒼く光り輝いていた。雲ひとつない。風もなかった。道端やちょっとした荒地、斜面ではいろいろな色のいろいろな花が沢山咲いて、大地を飾っていてくれていた。その中で特に印象に残ったのはタカネマツムシソウだった。紫色した一輪一輪が豪華で豊穣感のある花に感じられた。分布域が広くあまりの数の多さには何度も驚いた。また道端でチングルマが沢山咲いていたいたのも嬉しかった。人に教えてもらったイイデリンドウという固有種を見る幸運にもめぐり会えた。そして花々にはいろいろな虫たちが大きな羽音をたてて飛び回っていた。そしてその中には小生には特になじみ深い熊蜂や日本蜜蜂もいた。ある場所では蜜蜂の蜜の芳香があたり一面に漂っていた。もちろん倒木などない岩だらけの場所だった。巣は木の中にしか作らないと勝手に想像していたのだがそうではなく、岩場の適当な隙間などにも作ることを初めて知った。

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 飯豊山と同時に大日岳の雄姿も忘れられない印象を残してくれた。山頂からの展望も素晴しかった。スケールの大きな眺望をさらに引き立てていたのが山肌のハイマツなどの緑地と見事なコントラストをなしていた大量の残雪であった。
 膝の心配もなく時間が許されるのであれば、大日岳まで足を伸ばしたかった。

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 余談だが、百名山巡りをしている人でこの山を最後の方に持ってくる人が結構多いいようだ。
 夕方小屋前のベンチで4人で雑談したのだが、大阪から来た72歳だという方は2度目の百名山巡りでここが99番目と言い、二人目の人はここが100番目と言い、3人目の人は雲取山を残して99番目だと言っていた。小生だけが70番目という若い順番だった。登るとき地蔵岳で会った大阪だという人も94番目と言っていた。遅い順番でこの山というのは単なる偶然でもないようだ。話しの感じが、試験問題と同じで、ムズカシイのは後回しという心理が働いているように感じられた。


【写真記録】


☆☆ 雪国の深山 ☆☆


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