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岩木山



【概要】


T所在地 青森県
U訪問日時  平成20年【2008年】10月15日(水曜日)
V天候 曇り時々晴れ、微風 
W標高 岩木山  [1,624.7m]
 X登下山コースと所要時間 神苑桜林公園北登山口(06:26)→≒4.6q→(08:40)焼止まり避難小屋(08:45)→≒1 .3q →(10:11)鳳鳴ヒュッテ(10:13)→≒0.3q→(10:38)山頂(10:45)→≒6.2q→(14:19)神苑桜林公園北登山口
 * 上記ルート図
 * 表示距離についての注記
 Yその他 《1》登山口と山頂との標高差〜≒1340.7m
 《2》日程〜日帰り[前夜泊;神苑桜林公園登山口駐車場]
 《3》同行者〜同行者なし


【詳細】


朝起きると快晴だ。すぐに山の方を見ると鳥海山と岩木山が聳え立っていた。
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〈 左側が本山と隣り合わせの鳥海山で右側の三つこぶ山が岩木山 〉

焼止まり避難小屋のちょっと先の沢のところまでの約2時間半は雑木林の中の登山道を左右の紅葉見物をしながらのものとなった。遠望はない。道は乾燥した粘土質の土であるため歩き易い。ダケカンバなどはすでに落葉していて冬のたたずまいだ。
 大きな岩がゴロゴロ転がっている涸沢の脇の道を登っていく。天気は荒れ模様でガスや雲が上空を早いスピードで現れては消え、消えては現れていた。突然涸れていると思っていた沢からせせらぎの音が急に聞こえてきた。この下流のすぐ下で伏流水となっていたようだ。シジュウガラの鳴き声も聞こえ心が安らぐ。水源はさらに上方の錫杖清水という清水だった。水量は結構ある。冷たくておいしい。
錫杖清水からさらに涸沢を登ってゆくと左手に鳥海山の斜面がそして右手には岩木山の斜面が青空の中にのびている。草紅葉の黄金色が映えてきれいだ。その右斜面の上にいくつかの岩峰が見える。頂上が近い雰囲気がしてきた。御蒔苗代という小さな沼から一汗かくとロープウェイからのルートとの分岐点に出て、そこに鳳鳴ヒュッテという名の避難小屋があった。遭難者を哀悼して建造された由の掲示板を読んで心のなかで合掌した。さらに歩を進めると巨大な岩山が前を立ちふさがっていた。
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〈この山上が頂上。最初の写真の三つこぶの中央がこの岩山だった。〉
岩だらけの道なき道を一歩一歩踏みしめて歩く。疲れはない。左膝も大丈夫だ。
 山頂は大きな岩がゴロゴロ転がっているが広い。祠があり、ヨーロツパ風の石作りの山頂碑があった。 眼下には鯵ヶ沢町の市街地と七里長浜の海岸線がぼやけてはいたが見えた。帰り道が長いという意識があったものだからのんびりする気持ちにもなれず10分ほどで下山を始めた。
 国土地理院の地図では「岩木山」と「巌鬼山」が並列表記され、昭文社の地図では「岩木山」と「岩鬼山」が表記されている。訪ねてみると「巌鬼山」の方がイメージ的にはぴつたりだ。古人はこの山の荒々しい山容に、あそこは鬼が住んでいるのではないか、と恐れてこの「鬼」という言葉を使ったのじゃないだろうか?「岩木山」ではごく平凡な意味しか汲み取れない。小生流の解釈が間違っていたとしても先人がこの山に恐怖感をいだいたであろうことはこの「鬼」という言葉から容易に想像できる。その先人の想いをなぜこうも簡単に棄ててしまうのだろうか、不思議だ。
 御蒔苗代が北風がふきつけない格好の場所だったので簡単に昼食をし先を急いだ。途中で少し急ぎすぎたため右足を外側にひねってしまい今度は右膝関節のところをいためてしまった。スプレーを吹き付けサポーターを巻いてゆっくりと下山せざるをえなかった。
 登山口に帰って振り返ると出かけた時と同じように岩木山は同じ姿でそこにあった。 

【写真記録】


☆☆ 岩木山 ☆☆


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