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雲取山



【概要】


T所在地 東京都・埼玉県  
U訪問日時  平成22年【2010年】 1月 3、4日 ( 日、月 曜日 )
V天候 晴れのち曇り 
W標高   雲取山 [2,017.1m]
 X登下山コースと所要時間《 初日 》<小袖駐車場(10:12)→≒5.6q→(13:12)七ツ石小屋 (13:53)→≒2.9q → (15:01)奥多摩小屋
 * 初日のルート地図
《 二日目 》奥多摩小屋(05:10)→≒1.8q →(06:20)雲取山頂(07:36)→≒1.8 q→(08:10)奥多摩小屋(09:30)→≒2.0q → (10:13)七ツ石山(10:14)→≒1.0q→(10:29)七ツ石小屋 (10:30)→≒ 5.6q →(12:15)小袖駐車場
 * 2日目のルート地図
 * 表示距離についての注記
 Yその他 《1》歩行スタイル;小屋〜山頂、小屋→七ツ石山……6本爪アイゼン、その他……ツボ足
 《2》特殊なリスク要因の確認情報〜なし
 《3》登山口と山頂との標高差〜≒1,217.1m
 《4》日程〜 雲取奥多摩小屋泊[前夜泊;道の駅「たばやま」]
 《5》同行者〜 単独


【詳細】


 夜中に目覚めて外に出た。小屋の西側を南北に通っている登山道に出て夜空を見上げてみると、雲ひとつなく、月と無数の星がこうこうと輝き、富士山や目の前の大菩薩嶺を中心とした山並みのシルエットが鮮やかに見えた。最初夜中なのになんでこんなにはっきり綺麗に見えるのか不思議だったが、しばらくして月明かりのせいなんだとがてんした。人里離れた深山幽谷ではないかと錯覚するくらいに星が明るくここが東京であることをいぶかるほどであった。小屋の東側のガラス窓から眼下に遠く見えた飯能の夜景とは対照的であった。
 日の出は6時40分であった。東南の空が赤橙色に明らみ始めていた。山頂で20分ほど待った。避難小屋の玄関前の気温はマイナス9度くらいであった。
 地平線にごく薄い層の雲があったが、だんだん明るくなると瞬く間に日輪がその全貌を現した。燦然たる輝きが大地を蔽い始めた。
 劇的で感動的だ。
富士山もその輪郭をより鮮やかに屹立していた。西の空に白く光る月も印象的だ。天上の太陽と月の二重奏だ。
 ただ意外だったのが、富士山が赤焼けとはならなかったことであった。多分、順光でないと、モルゲンロートは見られないのだろう、と想像した。
 しかし、そんな多少の期待外れはあつたものの、ご来光と富士山には感動させてもらった。こんな幸運に恵まれることはそうたびたびはないだろう、と思う。
 感謝、そしてまた感謝。

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 一方、解決しなければならない課題もあった。
 一昨日登山口に近い道の駅「たばやま」で車中泊したのだが、3シーズン用シュラフ2枚でも寒さのため明け方目が覚めてしまった。夏用のダウンシュラフも掛けてなんとかまた眠ることができた。車内のガラスは全面が結露で霜が降りて、真っ白だった。冬季車中泊のさらなる対策が必要だ。
 また、今朝ご来光遥拝のため小屋を出た時、樹林帯歩行用の毛糸の手袋でなく、稜線歩き用に持参したノースフェイス社のゴアテックス製の冬用手袋を着用した。しばらくすると手がだんだんと凍え、痛くなりだした。手袋脱いで手のひらをこすり合わせたり、指の屈伸をして、さらに吐息も吹きかけ、また手袋をはめたが、症状は一向に改善しない。凍傷になるのではとの恐怖に襲われた。思い余ってダブルトレッキングポールを脇に抱え、両腕を胸の前で交差させて手の平を脇の下に抱え込んだ。この状態で5分くらい歩いてからだろうか、指がほんのりと暖かさを感じられるようになった。グローブは雨雪で水濡れなど一切していなく乾いていた。当時無風だからこんなことができたのだろうが、もし風雪の中だったら、と思うと、ゾッとする。仮に体調不良による血行不良が原因だとしても、それでもこうならない防寒対策を講じなければダメだ。これは深刻な問題だ。
 山小屋では管理人さんが好きなだけの枚数の毛布と布団を使ってイイとのことだったから、持参したシュラフカバーなどは不必要だろう、と判断した。寝支度は下はフリースのバンツで上は長袖のフリースの中間衣2枚に薄いウインドヤッケという格好だった。敷布団と毛布をそれぞれ一枚づつを下に敷き上は毛布一枚と掛け布団2枚にした。布団の中は冷え冷えとしてなかなか温まらない。長い時間布団の中で寒さと格闘だ。管理人が布団など干したことがないために(干し場所までは遠いいから、干さないのが普通と言ってしまえばそれまでなのだから、若輩の管理人の客のもてなし方を非難するわけにもいかない気がするのだが。)布団が冷たい湿気を帯びていたからに違いなかった。そのため小生の体熱で布団が乾くまで寒さで寝るどころではなかったということだったのだろう。避難小屋やテント泊した人達以上に“寝苦しい”経験を有料の小屋泊まりでしたのはなんとも皮肉なことではあった。冬の素泊まりの小屋泊まりではこういうこともあるということを肝に銘じておこう。シュラフカバー着用の励行とより保温力の高いダウンインナージャケットとパンツの着用の検討をしよう。
 それにしても世の中にはすごい人がいるものだ。同宿者の青年が話したことには、ゆうべ7時ごろ小屋近くまで来たら、道路わきにシュラフにくるまって横になっていた人がいたそうだ。スポーツ用品メーカーの人がシュラフの耐寒テストをしていたのか、それともキャンパーのどなたかが星空を見ながら眠りたかったのか(というのも、翌朝4時ごろ流星群がピークを迎える、と別の青年から話を聞いていた。)、さだかでないが、いずれにしろその挑戦意欲と根性、あるいはそのロマンチストには脱帽だ。当時マイナス6、7度はしていただろうにと驚いた。
 年末年始は予報通りに大菩薩と雲取の両山域は好天に恵まれた。アルプス方面は暴風雪に見舞われたらしいが(昼間は南アルプスはほとんど雲に覆われていてその姿を見ることができなかった。)両山域に新雪がなく、しかも前に降ったと思われる積雪がわずかしかなかったのは意外であった。この辺が太平洋型天気のグループに入っていることを実感した。
 昨日の朝は体調が悪く、また後でくればいいや、などと思い小袖の駐車場で引き返そうとも迷っていた。ただいずれにしろまだ朝飯を食べていなかったので腹ごしらえしようと焼餅とチョコレートを食べ牛乳を飲んだ。そしたら不思議。元気がもりもり出てきた。あわてて支度して出発した。結果は二重丸の山行き。下山後あの時引き返さなくて良かった、とつくづく思った。越後駒ケ岳でも状況は違うが引き返そうとしたがしなくて良かった、と下山後思ったことを思い出した。
 もうひとつ何が幸いするかわからない、と思うのは、この山は三條の湯経由のコースで日帰りしょうと予定していたが、三條の湯への林道が一年以上前から落石のため途中で車両通行止めとなっており、いつ解除されるか不明、とのことがわかったので日帰りはあきらめかけていた。夏、小袖駐車場からさらに奥に入った小袖部落からなら日帰りできるかもしれない、などと検討もした。だから出直して日帰りをしたとしても、今回のこの感動は間違いなくなかっただろうから、運とは不思議なものだ。

 
【写真記録】


☆☆ ご来光と富士山 ☆☆


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