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御嶽山



【概要】


T所在地 長野県  
U訪問日時  平成22年【2010年】10月11日 ( 月曜日 )
V天候 快晴のち曇り 
W標高 御嶽山 [ 剣ケ峰 ] [ 3,067m ]
 X登下山コースと所要時間 中の湯(御嶽山黒沢口6合目)[≒1,815m](06:03)→≒2.5q→(07:46)女人堂(金剛堂)[≒2,470m](07:58)→≒2.1q→(09:51)山頂(11:07)→≒2.2q→(11:54)三の池分岐(11:56)→≒2.3q→(13:54)女人堂(金剛堂)(13:55)→≒2.5q→(15:21)中の湯(御嶽山黒沢口6合目)
 * 上記ルート図 
 * 表示距離についての注記
 Yその他 《1》登山口と山頂との標高差〜≒1,247m
 《2》日程〜 日帰り [前夜泊;御嶽山黒沢口6合目駐車場]
 《3》同行者〜 単独


【詳細】


 木曽福島から中の湯へ向かうのに「御岳ブルーライン」でなく近道と思われる「霊峰ライン」を通った。そして驚いたのは、沿線の両側のあちこちに、すさまじい数の石碑が林立していた。墓石とは違い「×××××霊神」などと刻まれており、この「×××××」にはいろいろな氏名と思しき固有名詞が書いてあるようであった。針葉樹林の中の薄暗いとこであるだけに不気味さを感じるほどの量であった。信者が信心の証しとしてあるいは霊験の感謝のしるしとして寄進したものなのだろうか。また立て看板には「××教会」とか「××行場」とか「××滝」とかとも書いてあった。石工屋さんもあった。行者だけでなくいわゆる普通の善何善女の信者が滝に打たれて行をおこなっている姿が想像された。
 そしてこういった類の石造りの寄進物がこの地域だけでなく登山道脇から山頂付近までのいたるところに建てられていた。そして営業小屋ではない、信者のためのもの思われる小屋もいくつかあった。昔かの隆盛が今日までえいえいと引き継がれている姿を目の当たりすることができた。山が山岳信仰の対象であったのはもちろん知っていた。これまで訪ねた山々の道中や山頂の石仏や祠がそのことを教えてくれていた。でもほとんどが、過去そうであった、という、遺物の印象を受けた。だがここ御嶽山では往時にはくらぶべくもないのだろうが今でも生きているのを感じた。そしてこの山がここまで霊場として支持された理由の一端に、人里から離れていて仰ぎ見るような巨大な独立峰であること、そして山自体が巨石怪岩の岩場や広大な森林の存在だけでなく、そういった環境と気候風土が可能にした豊富な水と滝があることがあげられるような気がする。登山道脇にチョロチョロ流れる小さな沢水にいくつも出会ったし、三の池から女人堂までの岩場とハイマツ帯の森林限界を超えてるような地点を通る道に何本かの谷川が横切り、水量が多くそしてその水が冷たいのがあった。遠目にも滝となって流れ落ちるのも見えるほどであった。地下水か湧き水が豊富に違いなかった。実際飲んでみてもおいしかった。もし水が乏しい、とすれば、実際そういう高山々は沢山あると思うのだが、こうまで修験者達をひきつけ続けることはできなかったに違いない。そういった意味で、この山は命に優しい山、と言えるのではないだろうか。

 最初にこの山に強く引き付けられたのは、八ヶ岳の蓼科山の山頂でであった。
大きな山体をしていた。
そして独立峰であった。
その後霧が峰でも白銀の御嶽山のその美しさに心惹かれた。北岳山頂からもその姿がすぐにわかった。
 小生のガイドブックにはこの山の女人堂周辺が秋の紅葉が見事、とのことだったので、この時期に中の湯コースで訪ねることとした。
昨夜駐車場から見上げた夜空には大小無数の星がちりばめられていた。
月が出ていなかったから、漆黒の闇にかすかな光を放っている砂粒ほどしかない大きさの星星もよく見えた。街の灯に影響されない太古の星空そのままだ。
 東の空が茜色に染まり出し、空が明るさを増し、そして日輪が木の間越しに昇り始めたのが見えた。改めて上空を見上げると、雲ひとつない。針葉樹林帯を抜けて女人堂のある8合目で視界がパット広がり、目に入った空はやはり青空であった。小生にとって山を訪ねて何が嬉しいかといって、良く晴れていることが、最大かもしれない。
 岩、ハイマツ、草、山にあるものすべてが光り輝いている。太陽のなんと偉大であることか、と痛感しそして賛嘆する。
 山頂にたどりついたときでも、地平線上に雲海が浮かんでいる程度でよく晴れていた。
山頂からは360度の大展望を堪能できた。
お鉢、一の池、二の池、地獄谷、継母岳、魔利支天山、継子岳、火山性噴気、斜面の樹林、レジャー施設、麓の人里、手にとるようによく見えた。
継子岳ノ方角に乗鞍岳が、その後方に北アの笠カ岳、槍ヶ岳、穂高連峰などが、さらにその右側には蓼科山などの八ヶ岳連山が、さらに目を右に転ずると、富士山が、中央アルプスと南アルプスの峰峰の背後にあった。西方には、雲海はさほど高くはなかったであろうに、雲海上に山は見えなかった。
乗鞍岳だけが大きく見えただけで、その他の山々は小さく感じられ、この山が他の山群からは離れたところにあることを感じさせた。
それにしてもこの山の8合目から山頂にかけての山容のなんと荒々しく粗野であることか。小生などは、この山にかぎらずそうであったようにその火山爆発のすさまじさをほうふつとさせるその岩石、砂礫のデコボコで不規則な堆積にたまらない魅力を感じてしまった。
足腰の心配がなければ、当初予定したお鉢めぐりもし、そしてちょっと足を伸ばして魔利支天山も訪ねてみたかった。だがすでに山頂への途中で右膝に痛みが出始めていたので我慢せざるを得なかった。

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 今年最初の紅葉狩りだ。女人堂の周辺はナナカマドが紅葉の最盛期を迎えていた。鮮やかではあった。でも予想以上に規模は小さかったのでガッカリした。小生のガイドブックには、三の池から女人堂の間にも、紅葉の綺麗なところがある、とあった。下山時間に余裕があったので、予定通り、そちらのルートで下ることとした。
 女人堂に近づくに従い、ある地点ではすでに落葉したダケカンバの白い幹とナナカマドの濃淡さまざまな朱色と黄色の葉が斜面を覆っている風景を見渡すことができたし、ある所では登山路の両側をナナカマドが着飾って出迎えてくれた。人はなぜこうも紅色に心惹かれてしまうのだろうか。そして、いくつかの谷川の出合では、谷の両岸をやはりナナカマドが見頃を迎えていた。沢に転がる岩石の白さとハイマツの緑とのコントラストの見事さ。
 あまり期待はしていなかったのだが、こちらを回って良かったとつくづく思った。ただひとつ以外だったのは、モミジやカエデがなかったことだった。でもよくよく考えてみれば、森林限界すれすれの場所なので当たり前といえば当たり前なのだが、小生の従来のモミジやカエデも主役な紅葉のイメージとは違っていた。
ナナカマドは焚き木としては役に立たず、その赤い実も動物達は好んでは食べないようだ。だが一方において大自然の風景の中でこれだけのカラフルな世界を演出できるのだから、ナナカマドもなかなかのものだ、とも思う。

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 下山中右足膝の痛みの鈍痛が消えなかった。筋肉痛ではなく、また変形性膝関節痛と自覚している歩けないくらいの刺すような痛みでもない。だがこれも変形性膝関節痛の別の痛みの一種なんだろうか。翌日以降予定していた乗鞍岳と焼岳は大事をとって中止した。

【写真記録】


 ☆☆  紅葉  ☆☆ 


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